情熱を高くかざして

はてなにて、お気に入りの日記を見つけました。
雨宮まみの「弟よ!」 http://d.hatena.ne.jp/mamiamamiya/
AVライターの方の日記です。主にAVの批評をされてるサイトですが、そのマジっぷりが素晴らしいです。佐々木敦さんの日記(http://www.faderbyheadz.com/a-Site/a-news.cgi)から発見したものですが、佐々木さんいわく

「批評」に対するスタンスには、AVと音楽という場の違いはあれ、非常に非常に共感させられた。

とのことでしたのでこりゃーチェックせねばと勢い読んでみました。
内容はちょっと会社で堂々と読むには少しためらいが残りますが、自分の欲望を愛している・大切にしている点、無自覚な全体主義化(個人的な意見のはずのものを一般論にすり替える手口)に対する怒り、あと作家を見つめる視点・リスペクト、以上の点でものスゴイ面白い読み物です。特に下記のエントリーは最高。
http://d.hatena.ne.jp/mamiamamiya/20060511

批評って何なのか。宣伝の役にも立たず、ユーザーの購入ガイドにすらならない「批評まがい」に、何の意味があるのか。実際に批評の場が減り、ライターの仕事が減り、「いらねえよ」ってことが立証されているかのように思える現状の中では、批評が「必要か否か」を議論する必要すらもうないかのように見える。でも私はまだ、批評がとても大切なものだと思っている。

 必ずしもこの世の中で、多数決の結果だけが「正しい」わけではないということを考えてほしい。ヒットチャートの一位の音楽は必ず「いい音楽」だろうか。「売れる」音楽なのだから、多くの人の心をとらえる音楽であることは間違いないだろう。でも、それが「上手い音楽」か、「技術的にすぐれている音楽」か、「斬新で画期的な音楽」か、ということはまた全然別である。じゃあ「売れる」ということ以外の評価はどこで誰がするのか。それは多数決では、できない。世の中の多くの人がみんな「音楽を聞き分け、上手いかどうか判断する耳」や「斬新かどうかを判断する知識」を持っているわけではないからだ。「いい音楽」と呼ばれるものには、さまざまな「いい」の基準があり、たとえこの世で数十人にしかわからない難解な音楽でも、それがものすごく「いい」ということはあり得る。その「良さ」を、その微妙な「価値」を、丁寧にひろいあげることは大切な仕事では、ないんだろうか。

最高。すごすぎる。この雨宮さんは人間を愛し、表現を愛し、また自分の欲望を愛している。愛がなければこんなこと書けないよ。俺は音楽を愛してるつもりだけど、「その微妙な「価値」を、丁寧にひろいあげること」こんな表現はできない。クソはクソだと思っている。クソみたいな音楽にならないように、必死で自分の音楽だけを、自分の好きな音楽だけを愛す。それ以外には思考停止だ。それでいいと思っている。あくまでも俺個人の話だけど。
「やりたいことを、やりたいようにやる」のは戦いだ。自分の音楽を愛し、愛されるために、戦う。