「伊坂幸太郎」でわかること

昨晩、「オーデュボンの祈り」を読み終えた。
ぼくの勝手な期待は見事裏切られずに、非常に面白いお話だった。

「名探偵は誰のためにいるか知ってる?私たちのためよ。物語の外にいる私たちを救うためにいるのよ。くだらない。」

名探偵はくだらない。
こんなモチーフは京極夏彦京極堂シリーズでも顔をだしていたはずだ。
事件が起こり、誰かが死に、なんだか事件に引きずりこまれて、誰も救わない真相を暴く。そのことに何の意味が?

くだらない。か。そうでしょうね。
誰一人救えないとか、そういうことを考え出すからくだらなくなっちまうのだ。
小説の外ではどうせ誰も救えない。救われない。


だから、自分の内戦にケリをつけろ!そっから色々考えろ!
精神的内戦!孤立無援!救援物資はないぞ!覚悟しろ!
手持ちの武器は妄想と確信!わずかな手応えを食道に流し込んでしのげ!
敵は不安という煙みたいにボンヤリしたヤツ!
要するにやれる事をやりたいようにやり切るまで、やれ!


伊坂幸太郎を読み終えると、というか「面白いなー」と思う数多の読み物を読み終えると
大体こんなことを考えてしまう。


モチベーションが上がってきてる、ということで締めていいですかね。
ではまた今度。