俯瞰する視点

今から高田馬場にてsgt.の朝まで生練習です。病み上がりの体にムチ打ってきます。嫌いじゃないんですよ、ムチ。

さてさて今日は仕事中にもかかわらずなぜか友人と恋の話をしてしまいました。その友人は長年連れ添った恋人と別れたようで。まーまー色々あるよねー!!テンションあげてこうテンション!!てな具合にぐはははははな感じで盛り上がった訳です。(仕事中に。ネット上で。)
そんなやりとりの中でぼくが驚愕したのは、もしぼくがその恋愛の当事者であったとしたら、確実にできないであろう判断や考慮を、第三者に存在しているぼくはいとも簡単にできてしまっている事でした。もしも他人の恋愛を俯瞰するような視点で自分自身の恋愛を行えたとしたら、もう達人な訳です。そういうもんなんですかね。
客観的に物事を見れるようになりたいわけじゃない。俯瞰する視点とは、上からの目線ということになりはしないか?もちろん的確なアドバイスをくれる人はとても立派。客観的に第三者が考えて最もベターな答えを自分自身で導きだせる人なんてもう神だね!でもぼくは、自分の好きな事に関して重大な出来事が起きたら、みっともないくらい慌ててジタバタする人が素敵なんじゃないだろうかと思う。それだけ必死なんだから。好きなものを守ろうと必死なんだから。あなたが必死に守ろうとしてるものがぼくには興味のないものだったとしてもこれは変わらない視線でありたい。必死でみっともない人をウザがらない人でありたい。何故なら、今ぼく自身が必死だから。


こんな風に自分を擁護することも出来る。練習前にやることじゃないな笑